『昭和のBIGスター クレイジーキャッツ』
クレイジーキャッツと聞いて一番最初に思いつくことは「スーダラ節」の方が一番多いと思います。
戦後の復興期から高度経済成長期へと移り変わる昭和の大変革期。
そんな時代を後押しするイベントが「大阪万国博覧会」「新幹線開通」「東京オリンピック開催」などなど。
時代と共に国際化、欧米化が激しく進んでいきました。
街頭テレビから自宅にテレビが普及され、洗濯機やマイカーなど、どんどん夢が手に入る時代へとなっていきます。
終戦後、欧米化の象徴的な副産物として輸入されたのものが『JAZZ』です。
我が街「横浜」は正に駐留米軍の基地があり、居住地区が特区として構えられました。
本牧から横浜駅周辺の海側のエリアは大きなアメリカの施設がありました。
今でも少なからず名残を感じられる場所はありますが、それも時代と共に本当に少なくなってまいりました。
そんな背景もあり、横浜には戦後からJAZZが根深く馴染んでおります。
終戦後、JAZZは若い世代を中心に広く受け入れられるようになりました。
数多くの日本のJAZZバンドが産声を上げ、後に日本の芸能界に多大な影響を与えることになりました。
JAZZバンドが生まれては解散し、新しく誕生しては解体し、というように目まぐるしく時代の中で展開していきます。
そんな中で、運命に導かれた7人の男達が集まったのです。
それが「ハナ肇とクレイジーキャッツ」(以降クレイジー)なのでした。
クレイジーの誕生に関しては、ぜひ既刊の出版物などを通じてヒストリーを知っていただきたいです。
自分が物心ついた時にはもう既に時代は変わっており、ベテランのコメディアンとしてクレイジーは存在しておりました。
クレイジーが世に登場し最初に多くの人の目に触れたのが、テレビ黎明期の番組だったのでした。
その時の若手放送作家に、元都知事の青島幸男が参加していたりと、正に新たな時代の幕開けであったのです。
今までのコメディとは違う、テレビならではギャグが数多く誕生いたしました。
もともと、その時代は舞台がメインのステージだった訳ですが、そこからテレビへと進出した先駆けの存在なのです。
しかし、それには裏付けされた理由があります。
クレイジーのメンバーはJAZZミュージシャンとして確固たる実力と人気があったメンバーが、時間の波を掻き分けて集まった奇跡の集団なのであります。
そして新たな時代の幕開けと共に、既存のスタイルと違う新しいコメディスタイルでお茶の間に登場した訳なのでありました。
ギンギンに熱量を持った脂の乗ったアーティストが、新時代に切り込んでいった訳ですから、それはとてつもない人気になったのであります。
クレイジーはいち早く映画に進出し「無責任シリーズ」は大ヒットのもとに完成された風刺コメディ映画として、時代に新たな風を吹かせました。
正に高度成長時代のわらしべ長者のようなキャラクター「たいらひとし(漢字で“平均”)」はスクリーンで自分の身代わりとなって、サラリーマンの代表として暴れまくってくれたのです。
ただそのままではヒーローにはなれません。
憧れのファッションやライフスタイルを、自分のものとしてさらりと映画の中で演じておりました。
等身大ヒーローの誕生だったのですね。
クレイジーのJAZZ演奏の記録はほとんど残っているものがありません。
その中で唯一と言ってよい演奏を観ることが出来ました。
その演奏を観て、本当に衝撃を受けました。
これは感受性の問題にもなるので、あくまで私が感じた印象です。
しかし! だからこそスーパーグループである証明になると感じました。
クレイジーメンバーの実力はこんなアーティストと共通しているのだとイメージしました。
ハナ肇⇒ジーン・クルーパ
植木等⇒キャブ・キャロウェイとウィントン・ケリー
谷啓⇒もちろんダニー・ケイとJ.J.ジョンソン
安田伸⇒ソニー・ロリンズ
犬塚弘⇒ロン・カーター
石橋エータロー⇒バド・パウエル
桜井センリ⇒デューク・エリントン
こんなセッションがあったら夢のまた夢ですよね。
日本でこの夢のようなセッションが巻き起こっていた時代があったのです。
いや〜、それを知っただけでも感動だったし、感激ものなのでありました。
日本でも世界の歴史と同じく1940〜50年代に大きな波が動いていたのですね。
記録が全くと言っていいほど残っていない訳で、まったくもって残念でなりません。
それでも、若く新しい芽がまた生えてきている訳でもあります。
21世紀になり、この先どんな刺激が待っているのか、新たな時代の寵児の誕生に期待したくなる今日この頃なのでした。
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