「今年もできなかったな」という気持ちと、感じ始めた人生の残り時間
みなさんこんにちは。
イメージングディレクター/フォトグラファーの芳田賢明(よしだ たかあき)です。
ラジオのレギュラー番組だと思っていろいろ書いてみる、連載「memorygram」第57回です。
また一つ、大きな仕事をひっそりと終えました。
この先、9月いっぱいくらいまで全く休むことなく走り続けることになりそうです。
タスクが溢れかけている予感がしています。
毎日毎日ひたすらロジカルに写真について考えているので、落ち着いたら思いっきり感覚だけで撮影したいと思っているのですが、落ち着くことがないですね。
チャンスがあれば、新幹線で行きやすい範囲の美術館に行って、その隙で写真を撮るというので精一杯。
もっと撮影を増やさないといけないんですけどね。なんとかしないと。
自分も表現者でありつつ、基本的には誰かの表現を何らかの形で支える仕事をしているので、毎日いろんな表現に向き合っているというか、その表現に迫られているような感じ。
自分の表現に向き合うのも苦しいものですが、他者の表現に本気で向き合っていると、それもそれで自分が削られていくような感覚があります。
インプットとアウトプットのバランスと同じように、自分の表現と他者の表現もバランスが必要なんだろうなと。
他者の表現を受けて立つからには、自分も表現者としてしっかり立っていないと、土台が崩れてしまうような気がします。
しかし毎日暑さが異常ですね。
年々梅雨の概念がおかしくなっている気がします。
こんな暑かったっけ?
熱中症になりやすい体質なので、日々7〜8割くらいのパフォーマンスしか出せていない感じです。
一度頭痛になるとろくに稼働できなくなってしまいます。今日も夜中になってやっと再起。明日も朝早いのだけど。
どうやっても優先順位をつけて上からやっていくしかないわけですが、そうすると「今年もできなかったな」というものが出てきてしまいます。
かつては「まあ来年で」と思えたのですが、そろそろ人生の折り返し地点。残り時間のようなものを少しずつ感じ始めると、焦りというほどでもないですが、このままで大丈夫か? と。
そろそろ本当にバランスみたいなものを考えないと…。
「モテなかった人は子孫によって自分の痕跡を後世に残すことができないから、経営者になることでその名を後世に残す」みたいな話がありますが、それは表現者にも言えるのではないかと思っています。
私ももはやここまで来たら、教え子か作品か、それか著書とかでしか私が生きた証は残せないでしょう。
先日「先生のおかげで世界の見え方が変わりました」という言葉を教え子からもらいました。
ここ10年、こんなに嬉しい言葉はなかったと思います。
これからの自分が生きる意味のようなものへの期待が、少し見えてきたかもしれません。
【プロフィール】
芳田 賢明(よしだ たかあき)
イメージングディレクター/フォトグラファー。
「クオリティの高い撮影・RAW現像で、良い写真を楽につくる」をテーマに写真制作ディレクションを行っている。撮影ではポートレートや舞台裏のオフショット撮影を得意とする。
Webサイト…https://atmai.net/
Instagram…https://www.instagram.com/takaaki_yoshida_/
芳田賢明 著、プロカメラマンに向けた[仕事に即役立つ本]
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