ぼくたちはどう生きようか
新作の宮崎アニメを観た人は、見事にダンマリを決め込んでくれています。
わざわざ調べなければネタバレもなく、日本人の気質が顕著に出ておりマジメ。
私も多分に漏れず鑑賞に行ってまいりました。
今作は子供が楽しめる要素が削られているので、向いてはいない作品かも知れません。
凄くファンタジーな内容な分、難解と捉えられたらその通りです。
今までのような製作委員会でお金を出し合って大化けを狙うか、今回のように作品性で勝負して手堅く稼ぐか。
そんな方向性を後者で体現したしたのかなと思いました。
評価を含め判断は分かれるところですが、宣伝なしで手堅くいって宮崎アニメの真骨頂を楽しむというほうが相応しいのでしょう。
大型作品として製作委員会方式を選択すればコマーシャリズムと年齢を問わず動員する事が不可欠になります。
子ども目線にも合わせた作品性が要求されるわけで、本質の追求には邪魔になる可能性があります。
宮崎さんが引退した理由は好きな事をやりたかったからだと認識しています。
復帰したのはスケール感を持たなければ好きなモノが作れなかったからでしょう。
まして外野にそれを邪魔されたくなかったのかと思います。
感想として私は楽しめましたが、みんなが楽しめたかどうかは?です。
これは仕方のないお話です。
宮崎さんも大衆に媚びないモノづくりをしたかった訳ですから、その考えを隅々まで詰め込んだらこうなって然るべし。
とはいえ日本アニメのヌーベルバーグと言って良い作品ですし、おとぎ話の本質的なオマージュであるストーリーや彩色美も愉しかった。
一番面白く思ったのは、秀逸なエンディングロールが終わり、客電が点灯して、あ〜面白かったと立ち上がってフロアーを見回すと…
一応に来場者の皆さんの表情は硬く、無言で立ち上がりそのまま劇場を後にしていく光景でした。
そうなっちゃうだろうな〜と思いましたが、前情報が一切なく作品とがっぷりよつに組むとはいかに難解で面白いかという結果です。
大衆が宮崎アニメに期待しているファンタジーと、本質の宮崎アニメのファンタジー性にはこれくらいの乖離があるのです。
リアルとファンタジーの融和を、理屈や定義付けネタ探しをしないと楽しめない方には、そもそも本作を楽しむための足枷がある訳です。
何故か集大成的作品とか、過去の作品のパーツとくっつけてオマージュみたいなことを言ってる人が多いみたいです。
宮崎さんの作品のテーマには一貫性があるので、似ている部分があるのはあたりまえの事。
そんなものを拾い集めて作品を理屈で理解したというのはお門違いでしょう。
難解なのではなく、不条理な世界なのです。
そう理解して観られたとすれば、きっとリラックスして愉しめると思います。
それをどうとらえエンジョイ出来るかは、観る方それぞれの判断で良いのです。
いちいち作品で説教みたいな事を言おうとしてるわけじゃないのです。
感じ方は人ぞれぞれ。観た人の思いが結論なんです。
そう思ってもう一回観に行って、自分の頭の中で作品世界を再構築してみるのもいいかも。
一回では映像も愉しみ切れないもんね、情報量が多いので。
君たはどう生きるか、そんな問いはいつだって付きまとっています。
すべては自分次第です。
原爆が投下され、終戦を迎えたこの時期に、今一度問われるのは先人からのバトンパス。
そう思えばこの作品も腑に落ちると思われます。
と個人的な感想に終始してしまいましたが、今回のお別れはこの曲を聴きながら。
ビリー・ジョエルのアルバム「ナイロン・カーテン」より「グッド・ナイト・サイゴン」
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