人気アニソンバンド「can/goo」のドラマーで、DEENのサポートドラマーでもある、歌うドラマー“小林秀樹”の2nd Single「僕だけのヒロイン」が7月19日に発売が決定した。前作から約1年を経た今、ドラマーとしての、そして歌い手としての音楽のルーツや、これまでの活動を紐解きながら、そのパーソナルな魅力へと迫った。
──プロデビューされてから現在も、DEENさんをはじめとした多くのアーティストを支えるドラマーとしてご活躍されていますが、そもそもドラムを始めるキッカケは、どんなことだったのでしょうか?
もともとは、僕らの時代はアイドルや歌謡曲の全盛期で、ザ・ベストテンや夜のヒットスタジオといった歌番組も多く、よくそれを観ていたんです。そこでアイドルは、オーケストラなどのバックバンドを後ろに1人で歌うことが多かったものの、チェッカーズがいわゆるバンドスタイルで、ドンッと前に出てきて演奏をしているのを観た時に、もちろんチェッカーズ自体も好きだったんだけど、そこで「ドラム」という楽器に惹かれたのがキッカケです。耳に入ってくる音と、視覚でとらえた動きがリンクしたというか。
──リンク、というのは?
見ただけで、ツツタツ、ツツタツ…という音が、当時はハイハットやスネアなんて名称も知らなかったけれど、あの楽器を叩くとこの音が出ているんだ!ということはよくわかって。だから段ボールを並べて、新聞紙を丸めて、それを見よう見まねで歌いながらポコポコ叩いてたんです(笑)。でも、その当時から“歌いながら”叩いてたんですよね。
──なるほど。歌モノの後ろで叩く、というところから始まっているのですね。
そう、原点には大好きな歌があって、その中でドラムという楽器がより目に入って…という形ですね。
──でも、ボーカルになろうとは思わなかったのですか?
全然思わなかった。何より、歌うことじゃなく歌いながらビートを叩く、ということが楽しくて大好きだったんです。
──そこからはもうすぐに練習をして、バンドを組んで…という形だったのでしょうか。
ポコポコ叩いていたのは小学校高学年くらいの頃で、初めて生のドラムに触れたのは中学校の終わりくらい。中学に上がってからずっとドラムをやりたいと親に言っていたら、親戚の叔父さんが昔ドラムをやっていたという情報を入手して、納屋にしまわれてボロボロだったドラムセットをゲットしたんです。でも農家の納屋だから、本当にボロボロで(笑)、もちろん色々と物が無かったり、不揃いだったけれど、それで練習をしていました。
──ちなみに、初めて演奏したのは?
中学3年生のそれも最後の方、卒業式のイベントの時に、BOØWYのコピーバンドでライブしたのが、初めて人前で演奏した経験ですね。
──バンドブーム全盛期の頃ですね。その頃からプロ志向だったのですか。
いや、当時はプロになるぞ!ということは全然考えていなくて、ただ好きな音楽の中に埋もれて、大好きな歌を口ずさみながら叩いている…ってこと自体が好きだった、という感じですね。
──では、そうして演奏される中で、どうしてそこからプロになろうと?
まず高校生になった入学祝で、ちゃんとしたドラムセットを買ってもらったんです。それで僕、出身が北海道の南幌町という、いわゆる田んぼや畑だらけの田舎町で、隣の家までもすっごい離れてるんです。それで僕の実家も農家だから、自分の部屋でドラムを好きな時間に好きなだけ叩けて、そうなってくると今度は他の楽器やってる友達がアンプを持ち込んできて、楽しく一緒に音を合わせて…ってなって、自分の部屋がスタジオみたいになってたんです。
──そこで、だんだんと?
でも高校を卒業する頃になってくると、そうしてた友達たちも実家を継いで農家になったり、専門学校に行ったり、地元で就職したりするようになって…でも僕はとにかく農家は継ぎたくなくて(笑)。でも北海道に残ってやりたいことも無くて、それならここまで独学でやってきたドラムをイチからちゃんと学びたいなと思って、それで上京することにしたんです。
──すると、どちらかというと、プロ志向でプロを夢見て上京して…というわけではなく、この現実から抜け出すために何かしなくては、という気持ちにうまく音楽を乗せたというような…。
そうそう、プロになりたいから!という目的ではなくて、でも就職や大学受験のような嫌なことから逃れたいし、社会のことはよくわからないから、やりたいことを前面に出して、みたいな。僕ら世代は結構多いんじゃないかな…でもそれは決して間違いでもないし。
──そうですね、そこにまた何かがあるかもしれないですし、決して間違いではないと思います。ではそうして音楽学校へ通うため上京され、そこで色々バンドを始めて…その後デビューするcan/gooのメンバーとも知り合うのでしょうか。
そもそも、その音楽学校の同期に年齢は上だけど、can/gooのベースのKIYOがいて、二人とも当時は長髪で(笑)ハードロックやっていたから、一緒になってハードロックバンドをやって…でもオリジナルではなく、ほとんどコピーやカヴァーでした。楽器やったことある人ならわかるかもしれないけど、ギターなら速弾き、ドラムならツーバス、とにかく難しいことをやろうっていう時期だったんです。
──たとえば、どんなバンドをやっていたんですか?
僕らの世代はやっぱりMR.BIG。それこそKIYOはドリル買ってドリル弾きまでコピーしてたくらい(笑)。そんな感じで洋楽を聴いて、オリジナルは全然やってなかったです。
──でも、その後にやられる、メロディが良くてサウンドはバンドという世界観の原点は、そこにありそうですね。
そうそう、少し世代は上だけど楽器やってたら必ず通る、Deep PurpleとLed Zeppelinなら、サウンドがメロディアスなDeep Purpleだったし。
──THE ROLLING STONESよりもThe Beatlesみたいな。
そう。メロディがスッと入ってくる音楽が良かった。
──その後、バンドでデビューされますが、そのいきさつはどんな形だったのでしょう。
当時KIYOと、その後can/gooのギターとなるPOMは、POMがボーカルのバンドをやっていて、そこに一度一緒にやらないかと誘われたものの、観に行ったらスーツ着て演奏してる大人な感じの、ちょっとお洒落なバンドで…当時もっとハードなのが好きだったり、いっそポップなのがやりたかったこともあって、若干自分は違うかなと思ってその話は断って。
──断ってるんですね!…でも断ったのに、何故その後バンドに?
そのPOMボーカルのバンドは一度終わって。でもその後POMから、今度は自分は歌わずに作曲やギターを担当して、女性ボーカルを立てたバンドをやるから、手伝ってくれないか…という形でKIYOを通じてまた誘われて。それなら今回は、手伝うくらいなら良いかなって思ったんです。
──あの人が歌わないなら、良いかなって(笑)?
いやいや、そういうわけではないけれど!…これどこまで文字になるの(笑)?でもそんな形で、手伝う…いわゆるサポート的な感じで一緒に演奏することになったんです。
──すると、そこからデビューまでは?
それで何回かライブしていると、ある日POMつながりでレコーディングとかを、お世話してくれる事務所があるって話になって、そうして訪れたのがDEENさんや近藤薫も(当時はバンド、スィートショップとして)所属していたGOOD-DAYでした。そこからはトントン拍子で、can/gooとして所属して、1枚インディーズアルバムを出したらデビューが決まって。次にシングルを出して…それとほぼ同時期に、プロデューサーの時乗さんから「DEENのギター田川さんのソロアルバムが出るんだけど、1曲いわゆるツーバスの(両足でドコドコとバスドラムを踏む)曲が叩ける人がいなくて、まだ録れていないのだけど…お前やってみるか?」と声をかけてもらって。
──DEENさんのプロデューサーの時乗さんに?
そう、それで出来るかどうかわからなかったけど、出来ます!って言って(笑)、参加することになって。それで何とか無事に録れて、その曲のベースはKIYOだったこともあって、お披露目ライブではTAPIKO を除いたcan/gooの3人で、田川さんのサポートバンドをやらせてもらったことで、世の中に出たというか。そこに、入日さんとかもコーラスで参加していて初めましてだったりして。
──なるほど、そこで少しDEENさんチームにも挨拶が出来たという感じなんですね。そして、それがcan/gooのメジャーデビューシングルリリースの頃とも同時期だったと。
そうですね、can/gooとしてのメジャーデビューシングル、アニメ「シスター・プリンセスRe Pure」のオープニング曲にもなった「まぼろし」が、オリコン初登場16位にランクインしたのも同じ頃ですね。とにかくGOOD-DAYにお世話になりだしてから、環境がドンドンと目まぐるしく変わっていった印象です。それでその田川さんのライブの後、DEENさんの新しいアルバムのレコーディングでも叩いてくれないかとなって。
──DEENさんとはレコーディングが最初だったんですね。
そうそう、そのレコーディング現場で、今もDEENさんのサポートベースの宮野さんとも初めてお会いしてレコーディングをして、それでそのまま次の年のライブツアーにも参加が決まって。だから、can/gooのデビューと同時に並行して、DEENさんサポートも始まったような感じでした。
──でもお話を伺っていると、いきなりラッキーな奇跡を掴んだというよりは、見えないオーディションのようなものを着実に積み重ねて、色々と出来るかと試されて、地道にそれをクリアしてこられたことが分かりますね。
うんうん、それはそうかもしれない。それでまたこの少し後に、スィートショップが解散すると聞いて、解散ライブを観に行ったんだけど、未だにライブハウスの後ろから、うわー良いバンドだなーって観ていた景色を覚えているくらいで。それがあったから、スィートショップの近藤薫がソロになったから、デビュー曲の「あすなろの唄」のレコーディングで叩かないか、ってプロデューサーから話が来た時は嬉しくて。
──やっぱりレコーディングで作品に参加してから、という形が多いんですね。
そうそう、それでその後は、近藤薫のライブサポートで前出のベースの宮野さんらと一緒にバックバンドを務めて、近藤薫 with B☆同士として色々と全国を回ったりしましたね。
──そうして近藤さんをはじめとした、色々なアーティストさんを次々にサポートされるようになっていったかと思うのですが、サポートの依頼が来る時に断ることはあるのですか?
まず無いですね。どうしても日程が重なってしまって、先に決まっていたものがあるという場合の時くらいで、基本音楽性がどうこうとかで断るということは一切無いですね。あ、POMの時だけくらい(笑)。
──前出のcan/gooのギターのPOMさんですね(笑)。でも確かに、もともと歌心があったり、パワフルなプレイも出来たりといったカラーが伝わっているからこそ、オファーがあるわけですものね。
そうそう、基本的にキャラクターを知っててくれてて、というのがあるから。
──昨今のライブハウス事情や演奏環境の多様化で、カホンなどでのアコースティック演奏も増えて、もちろんそれらも大事な楽器だとは思うのですが、やはりドラムで参加したい、というような気持ちはありますか?
もちろん。それが一番。やっぱり最初にも話していたように、何よりも幸せを感じる瞬間は、良い楽曲の中で、良いボーカリストの、良い歌を聴きながらドラムを叩ける時。そこが一番自分の居場所だと感じられて、あぁ心地良いなと本当に思えるんです。
──では、特に歌モノで大ヒットのあるDEENさんのステージだったりすると…。
毎度泣きます(笑)。でもそのくらい涙をこらえて良い曲だな、幸せだな、と思いながら叩いています。
──そんな風に歌を大切にされながら、今度ご自身が歌うことはどのようなきっかけで、歌われることになったのでしょうか?
コーラスで歌うことはあったものの、can/gooの時は女性ボーカルだからファルセットでのコーラスが多くて、DEENさんの時は田川さんと山根さんがガッチリとコーラスされているので我々はいわゆるウーアーのコーラスが多くて、だからしっかりと地ハモを歌ったのは、近藤薫の後ろが初めてだったんです。そうすると、今まではマイクを通さずに、叩く時に自分の中だけで歌っていたものを初めてマイクにのせることになって、そこでボーカルと一緒に歌ってハーモニーを奏でるというのが、またすごく楽しいと知って。そこからmoZkuも出来たんです。
──moZkuではユニットとはいえ、ご自身もボーカリストとしてフロントに立つという心境は、どんなものでしたか。
基本は延長ですね。近藤薫with B ☆同士で、コーラスをしている時とちょっとステージでの立ち位置が前に出てきて、リードをとる部分が増えた点はあっても、あくまで近藤薫の歌ありきだという、まだちょっとサポートというものの延長という感覚でした。
──完全にmoZkuだとフロントマンな気もするのですが…(笑)?
それは、頑張っているんです。頑張っている(笑)。
──でもそうすると、ドラムの立ち位置は変われど、音楽への気持ちはあまり変わっていなかったんですね。
そう、前に出て行って歌おう!というのではなく、多少リードは増えても、あくまで良い歌い手とハーモニーするのが楽しい、という気持ちでした。
──では、そうしてmoZkuとしてアルバムの「もずく定食 」「もずく御膳」、また社団法人愛知県漬物協会の公認ソングにもなったシングル「漬物いいな」、そして最新の「もずく弁当」などをリリースされてきたと思いますが、今度はボーカリスト“小林秀樹”としてソロデビューされることになったいきさつは、どんなものだったのでしょうか?
いきさつもなにも、近藤薫が僕の誕生日ライブに来てくれたんですが、きっとあの時彼はプレゼントを何も用意して来ていなくって、それなら歌をプレゼントすれば良いや、って考えたんだと思うんです(笑)。それでステージ上でいきなり急に、僕からは小林君に歌を書いて、プロデュースしてデビューさせることがプレゼントですって言ったんだと思うんだけど、そうしたらその時のお客さん達がすごく喜んでくれて。
──サプライズ中のサプライズですが、ファンからすれば嬉しい驚きですね。
それで、えー!と思いつつも、これだけ求めてもらえるのならば、喜んで頂けるのならば、と思って制作に入っていったんです。
──そうして、1st Single「I believe in you / キミとスマイル」…この2曲はカラオケのDAMさんに入ったりもされていますが、こちらを全国発売された時のお気持ちはどんなものでしたか?
自分的には、実は心底嬉しくはなくて、やっぱりとにかく恥ずかしかったんです。でも、親や田舎の親戚が喜んでくれて。何枚も買って親戚中で聴いてくれたり、それこそ初めてドラムを買った楽器屋さんにも母親が、「東京でついにデビューしまして」って持って行ってくれたりして。それだと今まで何もしてなかったみたいな言い方なんだけど(笑)。でもこうしてフルネームでの作品というのは、親からすると本当に嬉しかったみたいで、東京で頑張っているんだねと地元で言ってもらえていることは、僕も嬉しくて。だから、もちろん作品は良いものが出来たと思っていたけれど、どこかやっぱり恥ずかしくてあんまり聴かれたくない気持ちもあったけれど、でも結果的には良かったなと。
──その後はリリースツアーなども精力的に回られて、お友達のステージで歌われることもあったりと、本番を重ねる中でより歌が上手くなられた印象もあるのですが。
一応、若干気を遣えるようにはなったかな。でもこんなこと言ったら申し訳ないけれど、歌の練習の仕方はよくわからないし、腹式呼吸とかもあまりわからないけれど、だからこそ本番が練習というか。あとはやっぱり、身近にいるボーカリストとして近藤薫は先生でありお手本ですね。だからよく、薫くんの歌に声の出し方や節回しが似てる…なんて言われることもあるけれど、意識はしていなくてもそれも当然のことなのかなと思います。
──特にコーラスで同じ部分をなぞっていたりすると、節回しは合わせることになって、自然にそうなるかもしれませんね。ところで、そんな1st Singleから約1年、今度は2nd Single「僕だけのヒロイン」が7月19日に全国発売されると伺っていますが、こちらはどんな楽曲なのでしょう?
そもそも僕のソロは、イメージとして80年代の香りが出せたらと近藤薫も言っていたので、どんな曲があがってくるかと思っていたんですが、初めて聴いた印象は、郷ひろみさんが歌いそうな…振り付けがバッとある感じと言うか、ビートはあるけど切ない、そんなイメージでした。それこそCDジャケットも、ネオンの明かりの中で撮影して。
──そうなると哀愁感が漂う感じなのでしょうか。80年代的なテイストがコンセプトとは伺っていましたが、前作はバラードで今作はアップテンポな感じだと。
そうそう、ビートは効きつつ、情熱とか哀愁とか大人な感じもあります。そしてまたカップリングは対照的なものが出来ていて、僕がびっくりしたからきっと皆さんびっくりするはずです(笑)。でも、アコースティックな環境でも歌っているところに着眼してもらっての、歌声のニュアンスを大事にした曲作りをしてもらえたカップリング曲ですね。
──7月19日の全国発売リリースに伴って、moZkuも含めリリースツアーを回られるとのことですが、どんなイメージがおありですか?
僕のイメージとしては、やはりドラムを叩きながらのイメージなので、ドラムセットのあるライブハウスでは、ガツンとドラムを叩きながら歌いたいですね。マイクを握りしめて歌うのはちょっと恥ずかしいので(笑)。
──そうなると、最初にお話して頂いたように、まさにドラムを始めた頃のアプローチへと感覚的には戻っていかれるようですね。となると、昨年のツアーが歌メインのステージであったとすると、今回のツアーはドラマーとしての魅力も感じられるようなものになりそうだと。
会場にもよるのですが、そういった感じにしていけたらと思いますね。やっぱり、僕のベースはドラマーなので、ビートの中で歌っているというのが原点ですから。
【小林秀樹プロフィール】
2002年にバンド『can/goo』のドラマーとして、キングレコードよりデ ビュー。 シングル4枚、アルバム2枚をリリース。 1stシングル「まぼろし」はテレビアニメ「シスター・プリンセス RePure」オープニング主題歌になり ヒット。また代々⽊体育館で行われた Animelo Summer Live 2005「THE BRIDGE」にも出演し話題となる。 2005年にはDEENのギタリストである田川伸治とロックインストバンド『THE SONICTRICK』を結成し、2006年にはデビューアルバムをリリース。 現在はDEENやさまざまなアーティストのレコー ディングや ライブサポートをしながらも、歌やラジオなど幅広く活動中。
<ライブ、レコーディング等で共演したアーティスト>
⼤⿊摩季、加藤和樹、石野真子、井上昌子、 北出菜奈、保志総一 郎、米倉千尋、⽩⽯涼⼦、DEEN 、近藤薫、藤田 ⿇衣子、SIO、森口博子、原田知世、太田裕美
(取材、文:伊藤智彦)
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