記憶の中にある味
みなさんは大切な味はありますか?
記憶の中にある、想像するとその味がもたらしてくれる幸福。
母が作ってくれた大好きな料理。
外食で味わったこの上ない美味しさ。
大人になってから体験した渾身の逸品。
様々な味の記憶があると思います。
その中でも特に大切なものは何でしょうか?
日常で体験していたものなのか、誰か特別な人が作ってくれたものなのか。
自分の中には2つの特別な味があります。
1つは横浜の山下町にあったイタリアンレストランである歴史のあるクラシカルな佇まいの店舗です。
その店がある日、両隣を含め建物を建て替える事になりました。
数年間、その区画は工事が行われました。
その店のメニューの中に、これ以上に美味しいものはない! と至らしめる逸品がありました。
工事が始まってから食べられなくなって、改めてその美味しさ、よりいっそう好きだった事に気が付きました。
果たして工事終了後にその店が復活するのか、特に案内なども何もなかった為、分かりませんでした。
いよいよ工事が終了しそうになった時期にその前を通りました。
昔の面影は全くない大型のマンション。1階は店舗テナントらしい作りになっていました。
そして工事も終わりテナントが完成し、随分と雰囲気と大きさは変わってしまいましたがレストランは復活しました。
あの情緒ある趣はなくなり、明るい喫茶店のような容姿に様変わりしておりました。
開店早々、その新しい扉を開き店を訪ねました。
店の造りは変わってもスタッフは全員変わらず、メニューも健在でした。
数年振りになるそのメニューをオーダーしました。
『マカロニグラタン』です。
横浜には数は減ってしまいましたが、有名な老舗レストランが点在しています。
特に山下町から伊勢佐木町、野毛辺りのエリアには数多くありました。
時の流れと共に古き良き横浜の香りが漂うレストランは姿を消しています。
特筆するなら、関内桜通りにあった超有名店「オリジナルジョーズ」が閉店した時は本当に悲しかったです。
久しぶりに再会した『マカロニグラタン』はいわゆる洋食の粋を脱し、贅沢な一品としての存在感があります。
とにかくこのベシャメルソースは究極の美味さなのです。
香り、塩味、甘味、口当たり、食感、これを基準として考えると、他の追随を許さない気品すら感じます。
永遠に食べていたい、そんな五感に訴えるほどの美味しさに包まれます。
他にも沢山美味しい料理がメニューに記載されており、無論その他の美味しいシリーズも一緒に食べています。
でも、他のメインメニューを押しのけて、自分にとって『マカロニグラタン』は間違いなくNo.1メニューなのです。
他の横浜老舗レストランでもグラタンを食べております。
横浜が誇るホテルニューグランド。ここのレストランはドリア発祥の店であります。
洋食が日本に入ってきたその当時より、横浜ではいち早く食べることが出来る場所でした。
日本の洋食文化が大いに広まったのは東京オリンピックだとも言われます。
日本中のコック達がオリンピック村に集結し、一大レストランが組織されました。
オリジナリティと創造性を持って、世界中の選手をはじめとした関係者に向けその腕前が試されました。
帝国ホテルの総料理長村上シェフの伝説は今でも語り継がれております。
数々のグラタンを食べてまいりましたが、やはりこの店が自分にとって1番なのであります。
どうしたらあの味が作れるのか、その謎を解明するべくベシャメルソース作りにトライしました。
細かい材料の差や割合などレシピがないので分かりませんが、基本的な作り方からスタートし研究を続けました。
学生時代にアルバイトをしたカフェもベシャメルソースが自慢の店で、そのレシピは今でも覚えています。
自前の経験をソース作りにアレンジし研鑽を続けた結果、必要だった一つの味が分かりました。
そこまでいけば、もう十分満足です。自分流の美味しいソースを作る事は出来るようになりました。
横浜中華街でバーをやっていた時、メニューにグラタンを入れていました。
その店からほど近い場所にそのレストランはあります。
友人が自分の店に来た時に、そのレストランの『マカロニグラタン』の美味さを大いに語った事があります。
彼は自分の店からの帰り道、どれだけ美味いのか確かめようとそのレストランに行きました。
彼が次に店に来た時、レストランの方に「友達がこのお店のマカロニグラタンは最高で、自分の目標の味なんだ」と喋ったらしいです。
そんな事を言われたら恥ずかしいじゃないかと思いましたが、何事にも屈託のない彼らしいエピソードです。
「最高に美味かったでしょ?」と聞くと「食べたことの無い美味しさだった」と言っておりました。
その店も、それから数年後、静かに閉店してしまいました。
ママさん、シェフ、スタッフさんは昔から変わらずの人達でしたので、続けて行くのも大変になったのでしょうか。
もうそのベシャメルソースを食べる事は出来なくなってしまいました。
味は記憶として残っておりますが、それを再現する事は今となってはもう出来ません。
それに近づくために考えたソースを記憶をたどって作ること、唯一出来ることはそれくらいしかありません。
お店がクローズした時から、永遠にその味の記憶をたどり続ける旅は始まりました。
いつかその味、またはそれを超えられるソースに出逢う事を、これからずっと楽しみに続けていくのですね。
大切な味の記憶のうち1つをご紹介いたしました。
また機会がありましたらもう1つの味の記憶についてお話ししたいと思います。
それでは、大切な味の記憶を辿ってみて、思い浮かんだ1曲をお届けします。
ビリー・ジョエルで「イタリアン・レストランで」
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